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月が見ている。1

   

 第一話

 

  
 ひと一人がやっと通れる細い路地を、かずさは駆け抜けた。心臓が、どくんどくんと脈打っている。呼吸も荒い。
 明かりが遠ざかりどんどん暗くなっていく。と、少し広い場所へ出た。

「……早く探せ!」
「こっちだ!」
 追っ手の声がし、とっさにすぐ傍の木箱に掛けられていた筵(むしろ)に身を潜める。
 足音がふたつ、通り過ぎていく。

 人の気配がなくなるとかずさは詰めていた息を吐き出し、しゃがみこんだ。
 土で汚れた自分の裸足の足を見つめる。泥はねが浴衣のすそにいくつも付いていた。

 ─── 二親とも流行り病で亡くしたかずさは預けられた先の親戚から、佐野屋という娼家へ、三日前、働きに出されたばかりだった。今は下働きだけれどこの見世で一生働き、いつかはみんなに認められたい ─── そう思いながら、懸命に勤めていたかずさはつい先刻、主の寝間に呼ばれた。

(「かわいいねえ、おまえは。大人しくしておいで、……」)
 ぞっとして体が動かない。声も出ない。
 いやらしく笑って主がのしかかって来る。浴衣の合わせを開こうと手が伸びてきて。
(……怖かった)

 気がついた時には、主の頭を枕元にあった硝子の灰皿で殴っていた。そのまま思い切り押しのける。主の悲鳴を聞きつけ、襖の向こうにひとが集まってきた。どうなさいました旦那さま、という声を聞いたとき、かずさは裸足のまま中庭に飛び降り、通用口から逃げ出していた。

(ここどこだろう?)
 かずさが筵の陰から出ようか迷っていると人が近づいてくる気配がする。
 しゃがみこんだまま、かずさは息を殺した。

「……騒がしいなあ」
 ひとり言らしき声。次いでマッチを擦る音がし、ぽっと筵の向こう側が明るくなる。光は一瞬で消えて、おそらく燃えがらを、ざりざりと踏みつける音が響く。
 煙が辺りに満ちた。

「……けほっ」
 かずさは咳を我慢しきれなかった。煙草の男の視線がこちらへ向くのを感じる。
 出し抜けに筵がめくられた。

「……これはこれは」
 おどけた口調が頭上から降ってくる。
 かずさの顔から血の気が引く。体が動かない。しゃがみこんだままゆっくり見上げると咥え煙草の男がかずさを見下ろしていた。

 ほとんど明かりのない中、かずさがかろうじて判ったのは、男が煙草を指に戻した仕草だけだった。
「おまえ、佐野屋から逃げ出した奴やろ。さっきから男衆が探しとるわ。やかましいてかなわん。もう見つかってもうてんから、見世、帰り」
 かずさは首を横に振って動こうとはしない。

 途端に男に声が不機嫌そうになる。
「売られてきたんやろ。おまえ買うのに佐野屋がなんぼ払たか知らんが、結構な額のはずやで。うちの見世かて同じや。足抜けはあかんの」
 ちがう、ちがう。売られてきた女の子じゃない。ただの下働きで、ずっとあのお店で働こうと思ってて。

 そう口を開こうとしたかずさの腕を掴んで、男は筵の暗がりから引きずり出した。
「なんや。……男やないか」
 呟く男の声もろくに耳に入らなかった。かずさは無我夢中でその手を振り払って駆け出す。
 ─── すぐに誰かにぶつかった。
 
「な、なんや」
 抱き止められ、顔をのぞき込まれる。煙草の男と同じ言葉遣い。
 かずさの膝が、がくがくと震えた。逃げられない。

「おう、大和、ええとこ来たな。そいつ佐野屋から逃げた奴やで。……男のガキやけど。捕まえときや。自分で帰られへんみたいやから、オレが連れてったるわ」
「佐野屋の?……」
 ふいに雲が切れ、月が辺りを照らす。

 自分を捕まえている、大和と呼ばれた男がすぐ目の前にいた。短髪で長身。引き締まった精悍な顔立ちに戸惑いの色が浮かんでいる。
     
 煙草の男は吸殻を地面に捨て、靴でもみ消す。近づいてくると意外に若い男であることが知れた。二十代前半だろう大和よりも五つは年下に見える。髪を肩ほどまで伸ばして、線の細い神経質そうな顔でかずさの腕を無造作に掴んだ。

 かずさは大和にしがみついた。

 煙草の男は片方の眉を上げて皮肉そうな表情を作る。
「アホかお前。大和は女郎屋の跡取りやで。足抜けした奴、助けるわけあるか、……行くで」
「待てやカナエ、跡取りはお前や。一人息子やろが」

 大和は煙草の男 ─── カナエの手をもぎ離して、かずさを背中にかばう。
 カナエは目をすがめた。

「そのガキ、逃がすつもりか? 大和。春霞楼(しゅんかろう)継ぐ奴とは思われへんな」
「継がへん、言うてるやろ。跡取りはお前やねんから、俺がこの子逃がしたかて使用人の不始末で俺のクビ切れば済む話しや。見世には迷惑かからん」

 かずさをシャツの背中にしがみつかせたまま、大和はカナエと睨み合う。
 先に根負けしたのはカナエの方だった。

「……オヤジとおかんの話、なんやってん。オレとお前呼びつけといてオレだけ先に帰すいうことは、お前に正式に見世、まかしたいゆう話ちゃうんか。そーなんやろ?」
「ちゃうわ、アホ。お前の暮らしぶり細(こま)こう聞かれただけや。いつも忙しいて、よう話せんからて、……女将さん、お前んこと心配しとんねんで」

 カナエはふん、と鼻を鳴らした。
「どうだか、……おまえと比べたら話にならんバカ息子やからねえ、オレは」
「またそないなこと、……」
 
 言い争いに発展しそうな大和とカナエの声を遮ったのは、忙しなく近づいてくる人の気配だった。自分を捜しに男衆が戻ってきたのだ、と気付いたかずさはびくんと身体を竦ませる。
 背後のかずさを振り返った大和は真っ青に血の気の引いたその顔を見て、ため息を吐いた。

「─── ウチ、くるか? この、ヒネたカナエと二人暮らしやけど」
 かずさはおどおどしながら、大和とカナエを交互に見つめて頷いた。

  

 

 

 

 佐野屋が少年も扱う娼家だとかずさに教えてくれたのは、カナエだった。
「ま、二、三人しかおらんけどな。そういうの専門とこには行き難いお客もおるやろ。表向き女郎屋やけど裏でそれなりのゼニ出せば、お前みたいな可愛らしい顔したガキ相手にデキるっちゅうわけやな」
 ウチの見世ではやってへんけど、と続けるカナエの視線に目を伏せて、かずさは呟く。

「でも、……ただの下働きって聞いて、……そんなの」
「騙されたんやろ。ようある話や。お前のオヤかて納得ずくやで、きっと。……なんや、いきなりお客に組み敷かれてびっくりして逃げ出したんか?」
「……」

 主の布団に引きずり込まれて、その頭を灰皿で殴って逃げた、とは言えなかった。殴ったのも、相手がお客ではなく主なのも、とても拙いことのような気がした。
 かずさはうな垂れて、自分が腰掛ける飴色の椅子の猫脚を見つめた。

 大和とカナエが暮らしているのは、洋風建築の二階家だった。一階部分には板張りの食堂や応接間、浴室があり、二階にはそれぞれの部屋がある。
 大和に手を引かれてこの屋敷に連れて来られたかずさは、玄関の三和土で足を拭かれ、食堂へ通された。物珍しさにきょろきょろと見回す。

 飴色の木造りの椅子に座るように大和に促され、腰掛けると、大きなテーブルを挟んで目の前に座ったカナエが無遠慮な視線を投げかけてくる。自分は働きに出されただけで、売られてきたわけじゃない、と小さく口にするかずさに、先ほどの佐野屋が少年も扱うという話をカナエはした。

「お前みたいなん、ただの下働きで済むわけないやん。……ちょっと我慢したらええ目見られるで。特別扱いらしいからな」
「やめろや、カナエ」
 湯飲みと急須でカナエの舐めるような視線を遮ったのは大和だった。

 かずさはほっとして大和を見上げる。─── ここに来るまで大和は一貫して、かずさの味方をし、庇っていた。
「嫌に決まっとるやろ、そんなん。年端もいかん子供に変なこと言いな」

「年端もいかん、ねえ……なんぼなん、トシ」
「……じゅう、さん……」
「ほら、子供やんか」
「どこがや。充分そういう役に立てるトシやで」

 カナエの言い様にむっとした大和はガタガタと椅子を引いて、腰を下ろす。湯飲みに順番に茶を注ぎ、それぞれの前に置いた。
「子供は子供や。おかしな目で見んなや」
「おかしな目で見とるの、お前の方ちゃうんか。……やたらこのガキに優しして」

 にやにやと意味有り気に笑うカナエを大和は睨んだ。
「おー怖っ。なあ、お前、……お前、名前は?」
「か、かずさ……」

「かずさ。かずさちゃんな、……このおにィさんには気ィ付けたほうがええで。どんな下心あるか判れへん、……」
「カナエ!」
 
 怒った大和を笑い飛ばしたカナエは席を立った。
「オレ、もう寝るわ。疲れた」
 食堂を出て行くカナエを、大和は苦々しい面持ちで見送る。
 
 どうしたらいいのか判らずに、かずさは湯飲みの水面に視線を落とす。
 そんなかずさの気を引き立たせようとしてか、大和はぎこちなく笑いかけた。

 

  

   

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