« | トップページ | 続・月が見ている。:目次 »

続・月が見ている。3

 

 〈3〉

 
 正座をしたかずさの目の前に、ひとつに括った洗い髪を肩から胸へ流した浴衣姿の美しい娼妓がにこにこと微笑んで座っている。
「まあ、そんな緊張せんでええんよ」
 優しく涼やかな声は、その内容からして初めて登楼した初心な若衆を解きほぐそうとしているかのようだったが。
 
 実際のところ、この姐さん女郎の翠はかずさの想い人の幼馴染みで、その想い人が出掛けてしまった為にかずさの面倒を見ることを押し付けられただけに過ぎなかった。
 
「かずさちゃん。いややわ、思った以上に可愛らしいねんなア」
「……なんでそんな浮かれとるねん。イミ判らん」
 そしてその場にはカナエもいた。白い湿布を貼った顔を不機嫌そうに歪め、腿の高さの位置の窓枠に腰掛ける。二階から見た外の景色は、大きな通りを沢山のひとが忙しなく行き交う夕暮れ時だった。

 初めて翠と対面したかずさは、春霞楼の二階にある彼女の部屋へ案内された。階下は忙しいて落ち着かんからね、と翠に言われ、茫然自失の呈だったカナエもついでに連れてこられた彼女の部屋は八畳間と次の間のふたつも座敷があるものだった。
 
 鴨居に掛けられたきらびやかで豪奢な着物が目を引く。その隣には白い清楚なワンピースが掛かっていて、どちらも翠の美貌にはよく似合うだろうと思われた。凝った彫り物が施された煙草盆や真空管ラジオ、黒漆の和箪笥は二棹もあり、鏡台もその鏡台の前掛けの刺繍も素晴らしく手が込んでいる。
 明らかに見世で一位か二位を争う売れっ妓の居室だった。

 緩く結んだ藍色の帯もしどけない翠の色っぽさにも、彼女の持つ豪華な調度品にも気後れして萎縮してしまう。
 何を話せばいいのか判らず口ごもるかずさを置いて、翠はカナエに目を向けた。
「坊ン。その男前、大和に殴られたんやって? かずさちゃんに手ェ付けようとして。アホやアホや思とったけどほんましょーもな」

「うっさいわ、ほっとけ。坊ン言うな」
「せやったら若旦那でええの?」
 どこまで翠は知っているのか、その言葉にカナエは口をぱくぱくさせる。線の細い神経質そうな顔の目元が赤く染まった。
 
「……勝手にさらせ」
 ぷい、と横を向いて、目線を大通りに落とす。窓枠に上げた片膝の上に、頬杖をついた。
 何事もなかったかのように翠はかずさに向き直ると、そばにおいてあった菓子鉢を薦めた。

「良かったら食べて? お茶もそろそろ来る頃やし、……大和からようけ聞いてたんよ。かずさちゃんが今日はひとりで洗濯しただの、床磨いただの、まあ惚気やね。大人しいてしっかりしとる、聞いてたけど思てたよりずーっと可愛らしいねえ」
 
 金平糖や落雁などが盛られた菓子鉢に目を落としたかずさは、翠に今まで毎日のように菓子をもらっていたことを思い出し、初めて彼女に自分から恐る恐る話しかけた。
「あのう、……いつも、お菓子を下さってありがとうございます。一度も、会ったことなかったのに」

「え? なんのこと?」
 翠はきょとんとした顔でかずさを見つめた。怪訝そうな翠の様子にかずさは焦ってしまう。
「あ、あ、あの、……いつも、美味しいお菓子……大和が、翠さんからもらって……俺にくれて……」

「─── うち、あげてへんで」
 しどろもどろながらもかずさの言っていることに見当がついた翠は、くす、と笑った。
「うちはあげてへん。大方、大和が自分で買うてかずさちゃんにあげたんやろ。プレゼントやな。下心バレたのうてうちの名前出すなん、ようやるわ、大和も」

 翠の言葉を心の中で反芻して、その意味を理解したかずさはみるみる顔を火照らせた。
 そんなかずさの様子を翠は楽しそうに見ている。ほどなくして見習いらしい少女が運んできた湯飲みを三つ載せた盆を受け取った翠は、「ありがとうね」と金平糖を包んだおひねりをその少女に渡した。
 
 そんな風に穏やかで優しい気性は、やはりかずさの思い描いていた通りの女性だったので、自分に菓子をくれたのでなくても翠に対する憧れに似た気持ちは薄らがなかった。
 翠は優雅な仕草でかずさの前に戻り、盆を机に置くとカナエを振り向いた。
 
「こっち来て茶飲みや」
「……いらん」
「ご機嫌斜めやねー。女郎屋の二階に上がって、娼妓に勧められた茶ー断るてどないやの」
 呆れたように言って、翠はどうぞとかずさに茶を勧めた。ありがとうございます、と行儀の良いかずさの声が応える。
 
 カナエはそれを背後に聞いていたが、暢気らしく茶など飲める気分ではない。
(大和のボケが、大店の主まっしぐらの道コケよって)
 おかげで自分にお鉢が回ってきた。大和の方が主に向いている、と言われ続けてずっと面白くない思いをしてきた自分がバカみたいだ。こんなことなら、無駄に妬んだりするのではなかった。
 
 なんだか大和や周囲に対して苛立っていたのは、自分ひとりの空回りだったような気がする。今思えば、徒労に過ぎなかった。
「…………」
 夕暮れの色街を眼下に臨みながら思いに沈むカナエの背後では、翠が真新しい畳紙を引き寄せていた。
「これな、さっき出来上がってきた着物やねん。まだいっぺんも袖通してへんのよ」
 
 かずさに言って、畳紙の結び目を解く。ぱらりと開かれたそこには、薄青の袷の着物が折り畳まれていた。
 白い華奢な翠の手がそっと着物を開くと、裾から腰まで拡がる秋草と紅葉の模様が現れる。かずさはその見事な手書きらしい絵に素直に見惚れた。
 
「ね、ちょっと羽織ってみてくれへん?」
 翠に言われ、かずさは驚きで瞳を瞬かせた。俺が? まだ一度も持ち主が袖を通していない高価そうな着物を?……それに女物だし。
 とんでもない、と首を振るかずさに翠はにじり寄った。
 
「初めて着物おろすときは若うてキレイな子に袖通してもろたほうがええのよ。着物も喜んで長持ちしてくれる」
 そんなこと、聞いたことがない。しかしあからさまに逃げることも出来ず、立たされたかずさはカッターシャツの上から薄青の着物を着せ掛けられた。
 
 目の前に来た翠が着物の前を打ち合わせる。ふわり、と翠から良い匂いが漂ってきてかずさの鼻をくすぐった。
「うーん、ちょっと地味やねえ。……そうや、かずさちゃんにはこっちの方が似合うわ、きっと」

 その香りにぼうっとなっていたかずさは、彼女が出してきた桜色の単をあっさり着せられていた。
「似合う、似合うわあ。可愛い、振袖若衆やね」
 
 両手を自分の胸の前で合わせた翠が褒めそやす。さらに、帯、帯、と言いながら箪笥の引き出しから何本もの帯を引っ張り出してきた。
「あの、……あのっ、み、翠さん」
 
「ん、なにー?」
 口に挟んでいた腰ひもをかずさに巻き付ける。黒かこげ茶で帯の色を迷っていた翠は結局、こげ茶の帯を手に取った。
「こ、……これ、新品じゃないから、俺が着る理由がない、と思うんですけど……」
 
「あるよ、理由。めっちゃ可愛らしいやん」
 それって理由かな……? とかずさは思ったが、強引かつ、たおやかで良い匂いのする女性の身体をむげに押し退けるわけにもいかず。
 
 ごく緩くではあったものの、桜の花びらが舞い、裾にはぼんやりと黄色い満月がかかった美しい着物をかずさは着付けられていた。
「うわー可愛いッ。可愛えわあ、ほんま。大和に見せたいなあ」
 きゃっきゃっと手を叩いて喜ぶ翠。かずさは恥ずかしさで赤くなった顔を伏せた。
 
「─── やかましいわ、なにし……」
 ふてくされたようにずっと外の景色を眺めていたカナエが振り向く。
 その目の前に、桜色の美しい着物を着たかずさがいた。色白の頬を染めて俯くその姿は新造もかくや、という風情で可愛らしい。
 
 目を瞠ったまま、沈黙。
 それからカナエは唇の片側を上げて、にやにやと笑った。
「よう似合とる。なんで帯、後ろで締めとんの? 前で結んでこっから下に手ェ振ったら、お客が引きも切らんで」
 
 面白がってからかうカナエを翠は睨みつけた。
「かずさちゃんは大和のもんやでっ。なんでそんないけず言うん?」
 
「似合とるからそう言うただけやん。─── 今からでもオレを旦那にせえへん? そしたら大和、この見世の主に返り咲きやで。大和みたいな朴念仁よりよっぽどイイ思いさした……」
 言い差したカナエの顔に薄青の着物がばさりと投げつけられる。
 
「子供相手にいちびるんも大概にし。客引きたかったら自分でしたらええ」
 つかつかと近づいた翠は投げた着物を手早くカナエに着付け、おまけとばかりに頬の湿布を引き剥がす。
「いたッ」
 
「大げさやな。なんともなってへんわ」
「さっきまで腫れとったんじゃ!」
 薄青の着物をまとわされ、銀鼠色の帯を前で垂らしたカナエは立ったまま頬を押さえる。湿布をくず入れに放り、かずさのそばに戻った翠は困ったように笑いかけた。

「堪忍な、意地悪ばっかり言う坊ンで、……大好きなお兄ちゃん、かずさちゃんに取られてもうたからおもんないのよ」
「なっ……ダレが」
 誰が大好きなお兄ちゃんで、誰がおもんないて?

 思わず目を剥いたカナエだったが、聞き捨てならない翠の言葉に反論しようにも慌て過ぎて舌が縺れる。
 そんなカナエにちらりと視線をくれ、翠はかずさの耳元に囁いた。
 
「……大和がまともに相手にしてくれへんから、おもんないねんで、アレ。子供の時分からそう。大和とケンカしても軽くあしらわれるだけやから、本気で相手して欲しいて余計挑発すんねん。それがかずさちゃんには大和が本気の本気やからおもんないのよ。かずさちゃんに手ェ出そうとしたんかて、大和本気で怒らしたかっただけやで。迷惑な片思いやね」
 
 言いたい放題な翠を腕を組んだカナエが睨みつける。片思いはともかく、大和を本気で怒らせてやろうと思ってかずさに手を出したのは事実だったので、それを言い当てられて面白くない。

「……ダレが片思いや。あんな、ひとが好いだけが取り得みたいなボケ、足抜けしたガキに本気ンなるアホがおるか、……出世街道踏み外しよってからに、……」
 ぶちぶちとこぼしつつ、カナエはそっぽを向いて窓枠に腰掛けた。

 愚痴に近いカナエの言葉を拾って、翠は微かに笑みを浮かべる。
「大和、別にお人好しとちゃうわ。かずさちゃんこと家に置いたんは優しいからやのうて、一目惚れしたからやで。……坊ンこと一人息子や跡継ぎやて甘やかしたんも人が好いからやない、見世の為や。ジブンが跡目に色気出したらごたごたするやろ。全く骨の髄までお店もんやねんから」

「………」
 かずさは大和が翠と恋仲だったという頃の話を思い出した。見世を裏切れない、と一緒に逃げるのを諦めたという。
 翠は今、その時のことを思い出しているのではないだろうか。

 じっと見ているかずさの視線に気付いて、翠はふふ、と笑った。
「かずさちゃんが羨ましいわ。あの大和が暇もろてもええ思うくらい、惚れとるんやねえ」
 うちもいっぺんそんくらい男衆に惚れられてみたいもんやわ、と冗談めかして言う。
 
「……あの、……翠さん」
「ん? なに?」
「……大和のこと、……今でも」
 
 訊いてどうするのだろう、とかずさは口ごもった。─── もし翠の気持ちが大和にあっても身を引くことなど、出来ない。そう出来ないほど余りにも深い想いが大和へ向かっていることを、かずさは今、初めて知った。

 そんなかずさの心中を見透かしたように、翠は優しく語りかける。
「うちな、身請けの話、来とるんよ。坂口様いう鉄鋼会社のご隠居。ずっとお馴染みさんやったし、穏やかでええひとや。そばにおると安心出来る」
「……翠さん」

「花火みたような惚れたはれたもええけど、うちは一緒におって楽なお人がええわ。受けようと思とるん、この話」
 まとまればかずさちゃんとおんなじやね、とにこにこと笑う。そんな翠が無理をしていないか推し量ろうとしたが、臈長けた姐さん女郎の真意が年若いかずさに判るはずもなかった。 
 
 

 
      

     目次続・月が見ている。4  

 ↓ランキングに参加しています。ぽちっと押して頂けると嬉しいです♪

   アルファポリス
     にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

 

  

« | トップページ | 続・月が見ている。:目次 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 続・月が見ている。3:

« | トップページ | 続・月が見ている。:目次 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト

リンクⅡ

  • 拍手お礼画像等を使わせて頂いています


  • アルファポリス


     
  • 雪ひろとさんと鷹槻れんさんのサイトです。


ブログバナー

  • Bromance

    リンクフリーです。報告は任意でお願いします。
無料ブログはココログ