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きみの手を引いて2:第九話

 

 重くてたまらない身体を引きずるようにして、ハルはベッドを降りた。身体中が軋んで痛む。
 一歩踏み出すごとに増す鈍痛と引き攣れる痛みに足元がふらつく。
「……った、……」
 
 声が掠れる。悲鳴と泣き声を上げ過ぎて喉が嗄れていた。
(……あー、……もう、……ヤダなあ……)
 手すりにしがみつくようにしてやっとの思いで階下に降りる。10時を回っていて長谷川は出勤していた。誰もいない家の中、浴室に向かい、冷たく震える指先でパジャマのボタンを外した。
 
 頭からシャワーを浴びる。温かい湯に包まれるとほんの少しだけ身体が楽になった気がした。
 
 
『……柚月さんに……』
『……オレがここにいれば柚月さんになにもしない……?』
 
 昨日の夜。
 ダイニングでの会話のない夕食の後、風呂に入るように促されたハルは言われるままに従い、─── 遅くに部屋へやってきた長谷川と対峙した。
 たどたどしく、懇願するように訊ねるハルに長谷川はふっと笑みを浮かべた。
 
『……そうだね。君がこの家から出ない、彼とは会わないと約束するなら何もしない』
『本当に……?』
『ああ』
  
 ハルはこくり、と頷いて恭順の態度を示す。近づいてきた長谷川を一度見上げて、目を伏せた。
 
 それから先はほとんど覚えていない。我慢しようとしても柚月ではない手に身体が拒否反応を起こして暴れてしまう。心をコントロール出来ずに勝手に口から拒む言葉と悲鳴がこぼれた。
『……イヤ……やだあっ……やめて……』
『……柚月さん……柚月さん……っ』
 
 
 自分のみっともない悲鳴と泣き声が蘇り、シャワーに打たれたまま頭を振った。
(……べっつに、どうってことないけどねー……ゴーカンされるくらい、全然平気、前だってウリやってたんだし)
 無意識に、辛い出来事から心を守る為の防衛本能を働かせたハルは、「なんでもない」と自分に言い聞かせる。

 そうしながらのろのろと頭を上げた。
 目の前の鏡に自分の姿が映る。
 
 血の気の失せた小さな顔。生気のない大きな瞳の下はクマで黒ずんでいる。手首の赤く擦れた痕、痩せた白い身体に散る鬱血痕 ─── きつく吸われた痕や歯型、押さえつけられた腕と肩と……。
(……ひでーな、コレ……さすがのオレもどん引き……)
 
 一年前は優しく扱ってくれた長谷川だったが、昨日の夜はひとが変わったように手荒くハルを組み敷いた。自分を受け入れず家出をし、他の男に心と身体を許したハルに対する怒りなのか、ハルを手に入れた柚月への嫉妬なのか、自分のものだとハルに思い知らせ、出て行かせないようにする為なのか ─── 。
 
 背けた顎を痛みが走るほど強く押さえつけられ、口付けを強要された。身体を這いまわる手と唇に耐えられずに押し退けようとするハルの腕を、肩を、長谷川はベッドに縫い止め、パイプに繋げたままだった手錠で細い手首を拘束して抵抗を封じる。悲鳴交じりの涙声で柚月の名を呼びながら力なく抗おうとするハルを許さず、いくつも吸い痕と噛み痕を付けて、その身体を何度も貫いた。
 
(……今夜もご所望だったら、オレ、ヤリ殺されんじゃねーかなあ……腹上死、じゃなくて腹下死……とか、ヤな死に方……)
 でも、柚月を守れる。
(……だから、まあいいか……柚月さんが……)

 柚月が無事なら。嫌な目に合わせずに済むなら。
(……柚月さんに嫌われるってあのひとはオレを脅したけど)
(でも、オレ、……もう柚月さんに嫌われてもいいや)
 
 柚月や周りの人たちに危害を加えられることの方が、もっとずっと怖い。
(オレが柚月さんを守る)
 オレが、ここにいれば、あのひとは柚月さんに何もしないでくれる。
 
(……だから平気。少しくらい、イヤでも)
(……今度は大人しくしないと。き……昨日は、我慢出来なかったけど、次は大人しくして、機嫌とって、……柚月さんになにもしないでって) 
 
(柚月さん、もう、ガッコ行ったかな……?)
『優秀な研究生だそうだね。友達も多くて』
(……笑って、くれてるといいな……)
 柚月がほんの一瞬でも、自分のことを好きだと思って、そう言ってくれただけで、ここにいられる。
 その想い出だけで。

 身体の至るところに無残な情交の痕をつけた自分が、鏡の中で柔らかく微笑んだ。

 

 
 
 
 
 浴室から出たハルは着替えのTシャツに袖を通して辛そうな息を吐くと、リビングのキャビネットの引き出しを開けてざっと見て回る。
 長谷川に奪われたドッグタグを捜していた。キッチンの食器棚も検めたが見当たらない。
 
 長谷川が隠すとしたらどこだろう。隠すというよりも……。
 直感に従って燃えないゴミの袋を開けると、中からチェーンの切れたドッグタグが出てきた。 
(あった)
 ハルはほっとして捨てられそうだったそれをそっと洗って綺麗にする。
 
 ゆっくりと階段を昇って自分の部屋へ行き、ベッドに横になった。手の中のアクセサリーをじっと見つめる。
 プレートに浮き出ているクロス模様を親指で撫でて、目を閉じた。
 
 闇に飲み込まれそうになりながら、連絡を取らなければならない人のことを考える。 
(……環さん)
 今日の無断欠勤を謝って、アルバイトを辞めることを伝えなければ。

 判ってはいたが、身体を起こすことが出来ない。柚月との関係を知りながら非難もせず見守ってくれた環に理由を訊ねられたら、 ─── 上手くはぐらかす自信がない。
 
 環のことを考えると、必然のように柚月の顔が思い浮かんでしまう。
「ゆ…づき……さ……」
 言葉にするつもりのない声が自然に口からこぼれる。心の中で何度も彼の名を呼んだ。

 その顔を。声を。仕草を。─── 柚月の全てを思い出し、心が引き寄せられていく。
 
 自分を見惚れさせるあの笑み。抱き寄せてくれる力強い腕。欲しいと訴えかけてくる瞳。
 その手が、指が、唇が、囁く声が、自分をおかしくさせて追い詰める。いつもは優しい柚月が欲情に目を霞ませるほど自分を欲しがってくれているのが嬉しくて、けれどあられもない姿を見られるのが恥ずかしくて、「いや」と口にしてしまう。そんな自分を柚月は宥めて、安心させて、時には強引に、何度も絶頂へと導いた。
 
 他愛ない会話を交わし、大きな心地良い手で頭を撫でられて「ガキ扱いすんなっ」と憤慨する自分にに向けられる笑顔。風呂上りの自分に「触りたくなるからあんまり近づくな」と目を逸らしてぼそぼそと言う困ったようなその表情。

(「ハル、……ミハル」)
(「……愛している」)
 言ってくれたのはいつだったろう。そんな言葉を簡単に口にする柚月ではない。だからハルはひどく驚き、顔を真っ赤にして目を伏せた。同じ言葉を返せなかった。
 
 ─── そんな柚月も、いずれ自分を忘れるだろう。長谷川の言うとおり、柚月は周りから信頼され、必要とされている。自分よりも柚月に相応しい人間はそれこそ星の数ほどいる。自分がいなければ、いつかその内のひとりを選んで ─── せめて、あやだったらいい、と思うのは生意気だろうか ─── 幸せになれる。
 
 とろとろとしたまどろみと覚醒をハルは何度も繰り返す。柚月の思い出と自分の考えが混ぜこぜになり、起きているのに夢を見ているような気がした。
 何かの拍子でふっと目覚めると、すでに午後の三時を回っていた。

 握りこんでいた手の平を開く。夢の続きのように、現れたドッグタグをぼんやりと見つめた。
(……チェーン切れちゃったな……直んないかな、これ……)
(これもらった時、柚月さんに、……ありがとうって言えなかった……)
 
 あんまり嬉しくて、嬉し過ぎて、泣きそうで言えなかった。
(言っとけば良かったな……ありがとうって、大好きって、もっと、たくさん、言えば良かった)
(聞いてもらえるうちに何度も言えば良かった)
(柚月さんに……今、言ったら、遅すぎるって笑われるかな……?)
 
 でも、声を聞くだけなら ───。
 その考えはハルをはっきりと覚醒させた。矢も盾もたまらず、身体の痛みに耐えながら起き上がり、やっと机の引き出しを開けて携帯電話を取り出した。
 慎重な手付きで電源を入れる。
 
 もう柚月に助けを求めようとは思わなかった。そうするには、それこそ、遅すぎる。
 けれど ───。
(や、……やっぱり、やめよう)
 声を聞いたら、柚月を守るという決心が、きっと、揺らいでしまう。

(……会いたい、……帰りたいって、きっと言ってしまう)
 泣きながら。もう帰れないのに。
 会えば、長谷川が柚月に何をするか判らない。それに ─── 乱暴されたことを知られてしまう。─── 柚月に何もしない、という約束で頷いたことを。
 
 ……逡巡した後、ハルはアドレスからひとつの名前を探し出して発信ボタンを押した。
『……ハル?』
 珍しいじゃない、と明るく柔らかな女性の声が言う。あやだった。以前公園で話した時、番号を交換していた。
 
『どうしたの?』
「……今、いいですか?」
『いいけど……なんか声おかしいわよ』
 風邪引いちゃって、とハルは苦笑してみせる。
 
「……柚月さんに、伝えて欲しいことが、あって」
『あら。ノロケ? 直接、伝えたらよろしいじゃございませんこと?』
 ラブラブのくせに、と冷やかされる。
 
 ハルはそれに応えられず、寂しい笑みを浮かべた。左手のアクセサリーをぎゅっと握りこむ。黙り込んでしまったハルを訝しく思ったのか、あやの声が心配そうに訊いた。
『……どうしたのよ。風邪で熱でもあるの?』
「いえ、……大丈夫です。……柚月さんに、……誕生日プレゼント……ドッグタグ、嬉しかったって……ありがとうって、伝えて、もらえますか……?」
 
『え……?』
「オレ……もう、会えない、から……」
『ハル? 何言ってんの? ちょっと、ねえ、今どこなの、』
 
 ぷつりとあやの声を断ち切る。そのまま電源を落とした携帯電話を覚束ない手付きで引き出しに戻した。─── 柚月に、伝えてくれるだろうか。
 柚月の通う大学院と同じ敷地の大学の学生である彼女なら、直接会うこともあるだろうし、連絡も取りやすいだろう。
 
(……それにあやさんなら)
 柚月に、似合いの彼女だ。自分といるよりも、ずっと柚月は幸せになれる。
 
(……ちゃんと、柚月さんに、さよならって……長谷川さんのところに、帰るって、言ってくれば良かったな……。迷惑かけてごめん、って……でも……)
(オレ、ここにいれば、……柚月さん、嫌な思いしなくて済むから……)

(「あいしている」)
 
 長谷川が帰って来るまで、あと二時間。
 ベッドに横になったハルの指先で切れたチェーンが微かに揺れる。
  
 

       

      目次第十話
 

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コメント

 お久しぶりです~♪♪
 ちょこちょこお邪魔させて頂いているのですが、コメントを残すのはどれくらいぶりでしょうか(・・;)
 いつもうちのブログを御ひいきにして頂いているのに申し訳ありません<(_ _)>
 でもちゃんと最新記事まで眼を通しておりますよ♪♪

 ああ、いよいよハルがえらい事に(ノ>。☆)ノ なんて一途な子なのハル……柚月さん早く迎えに来てあげて~!! 
 そしてナオの番外も堪能させて頂きました♪ やっぱり甘々は癒されますな(変態)

 続き楽しみにしております☆彡
 またお邪魔させて頂きますね♪♪
 
 
>コメントありがとうございます~(o^-^o) 「二度瞬く」楽しみです♪
 ヘヴンの番外、読んで下さったんですね~、嬉しいです(≧∇≦) 甘々でこっぱずかしい…(/ω\)ハズカシーィ
 
 第九話はあんなカンジ( ´・ω・`)でちょっと気持ちが落ちる…。しかしもう脱したので(書き手の八月だけ┐(´-`)┌)どんどん書き進めたいです。頑張ります(*^-^)

 ではまたお邪魔させて頂きます♪
 

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