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その腕の中

 

 

「要さん、……要さん?」
 すっかり物置と化したロフトからリビングを見下ろしたハルは、荷物を下ろすのを手伝ってもらう為に柚月を呼んだ。その柚月の背中が、夏の日差しで明るいベランダにあることに気付く。
 
 どうやら洗濯物を干しているらしい。大学院の長い夏休みの四日目、ハルのバイトの公休と重なり、一日中二人で過ごせる珍しい日だった。
 そんな珍しい一日の前の晩、ハルは柚月にある提案をしていた。

『服、さ、……オレの服、要さんの部屋に置いてもイイ? ……す、少しでいいんだけど……』

 遠慮がちに切り出したハルに柚月はあっさり「いいよ」と言った。それどころか、「なんで今まで置かなかったんだ?」と不思議そうに訊ねてくる。

 脱力したハルは反動で「もー! 明日手伝えよなっ!」と切り返していた。……柚月に重たいと嫌われたくなくて、遠慮していた自分がバカみたいだ。いや、そんなふうに甘えても柚月は自分を厭ったりしないのだから、嬉しいことなのだけど。

 気恥ずかしいような温かさが胸に拡がり、つい俯いたハルの手元に畳まれた衣類がある。柚月の部屋に置かせてもらうつもりのものだ。
(そうだ、……要さんのクローゼットとか衣装ケースとか、先に整理してスペース作らなきゃ)

 自分の服のことばかりで頭が回らなかった。柚月のことだから、そうそうたくさん、ごちゃごちゃと衣類があるとは思えない。ほんの少し脇へ寄せたり、整理したりすれば充分スペースがあるはずだ。
 
 そう考えたハルは、自分の衣類を下に下ろすのは一旦中止して、ロフトを下りた。洗濯物を干している柚月の手を煩わせることもないだろう、と何も言わずに彼の部屋に入る。
 
 閉め切っていた為、むっとするような熱気が押し寄せる。効き過ぎるほどだったリビングのエアコンの冷気を入れようと、ドアを開け放したままにした。
 
 取りあえず、作り付けのクローゼットを開けて中を確かめる。ハンガーに吊るされたコートやジャケット、スーツが何着かと三段の衣装ケースが二つ。衣装ケースの前面は半透明で内部が透けて見えたが、思ったとおりきちんと整頓されていて、ぎゅうぎゅうに詰まっている気配はない。 
 
(これなら大丈夫)
 ハルはクローゼットの前に座り込んで、衣装ケースの引き出しを開けた。生地の厚いスウェットが目に入り、冬物だと気付いて閉めようとする。
「……?」

 スウェットの下敷きになっている封筒が見えた。無造作に、慌てて押し込んだように衣類の隙間からよれた端を覗かせている。
 なんの気なしに引っ張り出した。衣装ケースの中は空いていて、造作もない。
 
 大きなA4サイズの封筒だった。表には、柚月の宛て名がある。─── その下には弁護士事務所の名前。
 ハルが真っ先に思ったのは長谷川との間でやり取りされた書類のことだった。もしかしたら、何か不備があってうまく行かなかったのかもしれない。それとも、別な、何か、……長谷川がサインを拒否しているとか……。

 不安な考えが胸を掠め、ハルは封筒の中に手を入れて書類を取り出した。透けるように薄いその用紙には見覚えがある。カサカサと音を立てて、二つ折りになっていた用紙を開いた。
「え……」

 最初に目に入ったのはこのアパートの住所だった。その下に柚月の名前。判が、押してある。
 隣は空欄になっていて、一番下の二つある証人の欄の片方に、成沢和臣の署名捺印。

 そしてその書類の一番上には、養子縁組届と記載されていた。
 
「な、……なにこれ……」
 ガタン、と音がした。
 驚いてリビングの方を振り仰ぐと、開け放してあったドアの向こうに、洗濯カゴを足下に落とした柚月が立っていた。

 クローゼットの前に座り込んだハルの手元をぼう然と見つめている。と、ふいに、ずかずかとハルに近づき、その手から用紙をひったくった。
「か……要さん」

「……なんでもない」
 柚月はくしゃくしゃと用紙を丸めてリビングのくず入れに放り込んだ。立ち上がり、近寄ってくるハルに柚月はぎこちなく笑って見せた。
「なる……成沢さんが、ふざけて、送って来たんだ。……ただの冗談。気にするな」

「……冗談……?」
 切なく見上げるハルに背を向けて、柚月は洗濯カゴを拾い上げた。ハルはその背中をじっと見つめる。
「でも……要さんの名前、書いてあったよ」

「………」
「要さんの字だった」
「………」
 
「印鑑も押してあった」
「………」
「……なんでなにも言ってくんないの?」

「だから、それは……」
 背を向けていた柚月が振り返る。ハルは柚月の顔が真っ赤に染まっていることに、初めて気付いた。
「……成沢さんが、書類、送ってくれて……見てるうちに、名前、……名前とか……住所とか……書くだけならって……判、押しても、お前に見られなきゃ、いい、って……」
 
 しどろもどろに言葉を繋げながら、柚月はずっと視線を伏せている。その視線の先の洗濯カゴをゆっくりと下ろした。
「……オレに、見られなきゃイイ、って……?」
「……ごめん……」
「……なんで謝るの?」

 ハルは、柚月はいつ、あの用紙に署名したのだろうか、と考えていた。─── 自分に見つからないようにこっそり用紙を広げて、どんな気持ちでサインして判子を押して、……。
「……お前を養子にして、縛りつけようなんて、考えてないから」

「………」
「魔が差した。成沢さんに、けしかけられて、つい、……お前を俺の……俺の家族にして、ずっとそばにいられたら、って……少しだけ、考えた。ごめん……あの男と同じだって、判ってる。……二度と、そんなこと考えないから」

 柚月は詰めていた息を吐き出した。
「……早く、捨てれば良かったな……」
「……どうして、捨てないで、隠しといたの……?」

「それは……」
「いつか、オレに見せようと思ってた?……捨てられなかった?」
 ずっと伏せられたままの柚月の目をハルは覗きこんだ。その目から逃れようと、柚月はさらに目を逸らす。

「……オレがサインしたら、ってちょっと考えた?」
「……ちょっとどころじゃない。毎日頭から離れない。……土下座したら名前書いてくれるだろうか、とか……見せた途端に泣かれたらどうしようとか……」
 
 ぼそぼそと柚月は告白した。
 ハルは温かい気持ちで心が満たされていくのを感じていた。─── 柚月は、その用紙に自分のサインが欲しくて毎日思い悩んでいたのだ。自分が柚月に嫌われたくなさに遠慮していたのよりも、多分ずっと深く悩んで。
 
「ごめん……お前の気持ち考えたら、こんなの見せられるわけないって、判って……」
 まだ謝罪を繰り返そうとする柚月にハルは背を向けた。書類が捨てられたくず入れにすたすたと近づき、くしゃくしゃに丸められたそれを拾い上げる。
 
「……ミハル?」
 訝しげな柚月の前を素通りし、薄い用紙を破かないようにそっと広げる。ボールペンを取ってダイニングチェアに座った。
 しわになってしまった用紙を手の平で伸ばし、それでも書きづらい空欄を埋めていく。ハルのペンを動かす音と紙の擦れる音だけが部屋に響いた。

「……これでい?」
 ハルは、ぼう然と立ち尽くしている柚月に向けて、記入済みの用紙の両端を摘んで持ち上げて見せた。しかめつらしく言う。
「……『桐嶋』のハンコないから、あとで買ってくる」
 
 柚月が捨てた用紙を拾って無理やりにサインした、という行為はかなり照れくさく、つっけんどんになってしまう。口をへの字に曲げ、面白くなさそうな表情をしているのが自分でも判った。
 柚月は何も言わない。嬉しくないのだろうか、と少し不安になり、テーブルの上の用紙を見つめた。
 
「……べっつに、もういらないってんなら、捨てていいけど」
 音を立てて席を立つ。ただ突っ立ったままの柚月から、ふいと顔を背けたハルは、逃げるように柚月の部屋に入ってクローゼットの前で俯いた。

 ─── サインしたんだから、なんかもうちょっと言ってくれてもイイのに。要さんてそういうとこほんと不器用ってゆーか……。胸の中で愚痴をこぼしつつ、ハルは開けっ放しになっていた衣装ケースを閉めようと手をかけた。

 柚月の上擦った声が聞こえたのはその直後だった。
「みっ……ミハルっ」
 いつも落ち着いている柚月らしくなく顔を真っ赤にして、ばたばたとハルの元へやってくる。

「あの、お前、あれ、あの、……いいのか?」
「……書いて欲しかったんだろ。じゃあ、いいじゃん」
 背中を向けたまま、唇を尖らせて小さく答える。
 
「要さんがいらないなら、ほんとに捨てていいから。……別にオレ、あんなの何枚でも書くし。今でなくても、要さんが書いて欲しかったら」
 いつでも、とハルは口にして、乱れてもいない柚月の服をたたみ直し始める。─── それはハルの正直な気持ちだった。柚月が自分と家族になりたいと願ってくれるなら、いつでもその想いに応えられる。
 
 そんなふうに思っていることを柚月に知られるのはひどく恥ずかしかったが、本当のことだから仕方がない。ハルは柚月の服を乱暴に衣装ケースの奥に押し込みながら、徐々に自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
「片付け、手伝わないんなら向こう行っててよっ。そんなとこでぼけっと突っ立って……」
 
 柚月の視線に晒され、居たたまれない思いから憎まれ口をきいてしまう。そんなハルの背中がふわっと温かくなった。
 柚月の大きな身体がハルの背中を包み込んでいた。

 その感触に心が満たされ、身体が解れていく。前にまわされた柚月の腕がハルを支えた。
「……隠す必要なかったのに」
 背中から抱きしめられる心地良さが、自然とハルの口を開かせる。

「そりゃビックリしたけどさー、……もっと早く見せてくれたらよかったのに」
「……お前に、あの男と同じだって思われたくなかった」
「思わないよ」
「何年かしたら思うかもしれない」

「思わないって」
 強い口調で断言する。─── 柚月は、長谷川とは違う。こんなにもはっきりと目の前に証明されているのに、柚月にはなぜ判らないのだろう。

 ハルは微笑んで、柚月の体温に身体を預ける。ただ黙ってハルを抱きすくめていた柚月は、その耳元で静かに囁いた。
「……もう一枚、同じの市役所でもらってくる」
「え……」

「くしゃくしゃになったから、同じ用紙をもらってくる。もう一度、成沢さんに証人のサインもらう。印鑑も俺が買ってくる。─── お前が、いつでも書くって言ったんだからな。土壇場で逃げたりするなよ」
「……逃げたりしないよ」

 それでドタキャンてありえなくない、とハルは柚月の腕の中でくすくすと笑う。必死めいた柚月の強引な言葉が嬉しい。
「要さんは、本当にいいのかよ」
「……俺が先に書いたんだ。いいも悪いもないだろう。……お前こそ、いいのか」
 
 真剣な柚月の声にこくんとハルは頷く。
「……うん。要さんの、家族になる」
 ハルを取り巻いている柚月の腕の力が強くなる。ミハル、と柚月の声が聞こえる。

 柚月のそばにいられる。柚月もそれを望んでくれている。それが途方もない幸せであることを知っている。
 遠い未来はどうなるか判らない。いつかは、柚月と離れて暮らすことになるのかもしれない。
 
 ─── それでも、今、そばにいたい。
 
 どれほど言葉を尽くせば柚月にこの想いが伝わるのかを考えながら、ハルはその腕の中にいた。

                            

                                end.

                 

        .。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

 

    ~ 後書き ~

 きみの手を引いて2の後日談「その腕の中」です。
 長らく続いた「きみの」ですが、未来に続く、というふうにしたかったので、こんな感じで終わりにしました。

 とはいえ、SSとかは書くかも……(^-^; まあ、その時次第ということで。「きみの3」は……今はちょっと考えられません。どうでしょうね、3って……書く……?(日和見発言┐(´-`)┌)

 これから先、長い未来がある彼らですが、とりあえずこれでおしまい、ということで。

 また、お目にかかれたら嬉しいです。(*^-^)

                        八月金魚 拝

 
           

          目次きみの2・SS 

 

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